2011年6月2日木曜日

『絵本をみる眼』

松居直(2004)「絵本をみる眼」日本エディタースクール出版部


<内容>

・よい絵本とは「確かな手ごたえのある世界が存在しているような絵本で、子どもが入っていって楽しむことができる絵本」p. 12

・「絵本にはつながり=連続性と動きによる物語の展開が重要」p. 78

・よい絵本は文と絵がお互いに過不足なく組み合わさっている。そうでなければ「イメージの重複」がおこり、すんなり読めないため、絵本の世界にはいりこめない。細部の書き込みがリアリティーをふくらますこともあれば、邪魔になってしまうこともあり加減が難しい。

・日本のイラストレーションの起源は12世紀の絵巻物の出現にあり、その後奈良絵本を経て、17・18世紀には子どものための物語本、知識の本や絵本が多量に出版された。明治維新後、欧米文化の流入により、木版による日本独自の子どものイラストレーションの伝統はいったん断絶してしまう。1890年ごろから終戦までの間は全面的にヨーロッパの影響を受けて近代化がすすむ。戦後は再び欧米の文化が流入し、すぐれた児童文学作品や絵本に触発され、さまざまな技法をとりいれた新たな絵本づくりの潮流がうまれた。筆者はこの傾向が加速し絵本が子どもの視点からはなれてしまうことを危惧している。

第二章は、松居氏がこれまでに出版された絵本作家の方々との出会い、絵本出版までのいきさつ、各作品についてのコメントなど。

・絵本に関する国際的な賞について

 ・国際アンデルセン賞絵本賞(国際児童図書評議会主催)
  ひとりの画家の過去の全業績を対象とする

 ・世界絵本原画展(BIB)の各賞
  絵本の原画作品が対象 

第三章は、日本以外で絵本に関わり活躍する方々(編集者、絵本作家など)に関してのエッセイ。

第四章は、松居氏が再話した絵本『ももたろう』について、誕生のいきさつやコメントなど。

・『桃太郎』は他の民話と異なり、時代によりさまざまに語りかえられている。なかでも戦時中にはお国のために戦う 青年のイメージを背負わされ教科書にも掲載されていた過去があり、戦後は占領軍によって忌避されて、まったく語 られない時期があった。

・松居氏の『ももたろう』の結末は通常と異なり、鬼を退治した桃太郎は宝物を持ち帰るのではなく姫を連れ帰り、結 婚することになっている。このような結末を選んだ理由について、宝物(=その人々の文化)を持ち帰るのはいか  に鬼に勝ったとはいえ倫理に反することであり、それよりも結婚相手を得るという、「子孫繁栄」につながるような 結末を選んだと述べている。

第五章は、編集という仕事についての心得のようなものについて。

<感想>

松居氏が編集者であることから、一般読者としてはあまり考えない視点から絵本が語られているのが新鮮だった。
絵本といえば絵と文でできていると単純に思ってしまうが、

「大きさ、形、厚み、重さ、頁数、紙質、紙の色、その折り方、製本に伴う種々の要素、開き工合、表紙、裏表紙、見返し、扉、奥付、活字の選択、レイアウト、レタリング、さし絵の製版方法、印刷方法、ブックデザインに関する問題、そして手ざわりから価格にいたるまで」(p. 62)

と挙げられているように、さまざまの要素がある。
こういったことも子供の視点に立った計算の上で出版されている絵本はやはり長く生き残っていくのだろうと思った。が、大人になってしまってから、子供の視点に立ち戻るということは難しい。

具体的なよい(といわれる)絵本(たとえば『ぐりとぐら』など)につき、どこがどのようにいいのか説明がなされ、よい絵本をみる参考になった。・・が、自分が絵本をみてよい絵本がどうか選別できるかというと、できない気がする・・。結局今のところ、ロングセラーとなっているものを選んでしまっている。

また、附録として2種類の『桃太郎』が採録されていたが、このふたつの差に驚いた。一方は南部地方の五戸で語り継がれた昔話集に収録されたもの、一方は国定教科書に収録されたもの。語り口調も違えば、ストーリーの細部の描写も全く違い、物語のリアリティーの有無がはっきりしている。
絵本でもリアリティーの有無が重要というが、このことが再認識させられた。